田中角栄「怒涛の戦後史」(18)元自民党副総裁・金丸信(中)

| 週刊実話

 田中角栄政権の誕生に汗を流した金丸信ではあったが、その田中が不明瞭な女性・金脈問題を問われて退陣したあとは、金丸の田中に対する思いや距離の取り方が微妙に変化していった。

 とくに、退陣からさほど時間がたたぬ中でロッキード事件が表面化したにもかかわらず、自分のあと三木(武夫)、福田(赳夫)、大平(正芳)、鈴木(善幸)と移る政権に、自らの復権と影響力維持を懸ける田中に対し、金丸には田中に対する別の思いが台頭していったということだった。

〈オヤジ(田中)は必死だが、このままでは田中派は持たない。世論が許さない。田中派から次の総理・総裁候補を送り出し、官僚政治ではない党人派の新しい世代の政治を確立しなければならない。その世代交代の代表に、『盟友』の竹下登を押し立てたい…〉

 金丸と竹下は、田中派が発足する前の佐藤(栄作)派からの仲である。加えて、金丸の長男・康信が竹下の長女・一子と結婚し、孫を共有する間柄になったことで、二人の関係は「政治的盟友」以上のものになっていたのである。

 金丸のそうした思いが募る中、田中は鈴木政権のあと、中曽根康弘を後継に担ぐことで、なおも影響力の維持を図ろうとした。「闇将軍」と呼ばれ、いまだ圧倒的な権力を温存する田中に、逆らえる田中派幹部は誰一人としていなかったのだった。

 一方で、金丸の“中曽根嫌い”は徹底したもので、常々「俺は中曽根くらい嫌いな奴はいない」と公言してはばからなかった。また、田中派内にも、「なぜ中曽根を担がなければならないのか」といった異論もかなりあった。

 ところが金丸は、田中派幹事会でくすぶる異論を、こう言って抑え込んだ。一夜にして「親分」の意向をくみ、次のようなあいさつをしたのである。

「諸君ッ。いまやわれわれは、“ぼろ神輿”だが中曽根を担ぐしかなくなった。諸君も知っていると思うが、私は日本一の中曽根嫌いだ。その私が言うんだ。このシャバは、君らの思うようなシャバではない。親分が右と言えば右、左と言えば左なんだ。親分が右と言うのがイヤなら、この派閥を出ていくほかにないのでありますッ」

 一方で、金丸は当の中曽根にも、こうクギを刺すのを忘れなかった。

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