決死の覚悟で恋人を救出!満洲馬賊の女親分「満洲お菊」こと山本菊子の生涯【上】

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決死の覚悟で恋人を救出!満洲馬賊の女親分「満洲お菊」こと山本菊子の生涯【上】

満洲馬賊(まんしゅうばぞく)と言えば、大軍閥の張作霖(ちょう さくりん)をはじめ多くの荒くれ者たちが馬を駆って暴れ回ったイメージですが、そんな連中を束ねた親分の中に、一人の日本人女性がいた事はあまり知られていません。

そこで今回は、満洲馬賊の女親分・山本菊子(やまもと きくこ)のエピソードを紹介したいと思います。

7歳の時に売り飛ばされて、大陸へ

山本菊子は明治十七1884年、熊本県天草で生まれました。家は貧しかったため、7歳となった明治二十四1891年ごろ、李氏朝鮮の京城(現:ソウル)にある料理屋へ、口減らしに売られたそうです。

「ごめんよ……あっちではいいおべべ着て、美味いもんたらふく食えるからな……」

当時、料理屋と言えば聞こえはいいですが、中には売春宿まがいのところも少なからず営業しており、要するに菊子は娼婦の見習いに出されたようでした。

「おっ父ぅ……おっ母ぁ……」

身売りされた少女の待遇なんて大抵どこでも同じようなもので、菊子もまた、蹴られ殴られいじめられ、泣く泣く奉公しながら成長していった事でしょう。

「からゆきさん」と呼ばれながら、異国の地で糊口をしのいだ菊子たち(イメージ)。

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