一緒に手柄を立てたのに(涙)豊臣秀吉の側近「賤ケ岳の七本槍」から洩れてしまった名将たち【上】

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一緒に手柄を立てたのに(涙)豊臣秀吉の側近「賤ケ岳の七本槍」から洩れてしまった名将たち【上】

織田信長(おだ のぶなが)が明智光秀(あけち みつひで)の謀叛(本能寺の変)によって斃れた後、後継者の座をめぐって筆頭家老の柴田勝家(しばた かついえ)と、謀叛人を討ち取った武功第一・羽柴秀吉(はしば ひでよし。豊臣秀吉)が争った賤ケ岳(しずがたけ。現:滋賀県長浜市)の合戦。

賤ケ岳で活躍し、新時代を切り拓いた若武者たち。「賤ケ岳合戦図屏風」より。

時は天正十一1583年4月、秀吉が天下人への道を歩む上で絶対に負けられなかった決戦を制したのは、秀吉子飼いの若武者たちの活躍あってこそ……中でも目覚ましい戦功を立てた七名を「賤ケ岳の七本槍」と呼んでこれを激賞。

後に豊臣政権の新時代を担っていくことになるのですが、賤ケ岳の戦いで活躍したのは彼らだけではありませんでした。

そこで今回は、そんな「賤ケ岳の七本槍」から洩れてしまった名将たちについて紹介していきたいと思います。

名誉じゃなかった?「賤ケ岳の七本槍」プロフィール

まず「賤ケ岳の七本槍って誰?」という方もいるかも知れないので、以下にメンバーを紹介します(50音順。出身地:秀吉に仕官した年/年齢)。

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