一緒に手柄を立てたのに(涙)豊臣秀吉の側近「賤ケ岳の七本槍」から洩れてしまった名将たち【上】 (2/4ページ)

Japaaan

一、糟屋武則(かすや たけのり)播磨国:天正五1577年/16歳
一、片桐且元(かたぎり かつもと)近江国:天正二1574年/19歳
一、加藤清正(かとう きよまさ)尾張国:天正元1573年/12歳
一、加藤嘉明(かとう よしあき)三河国:天正二1574年/12歳
一、平野長泰(ひらの ながやす)尾張国:天正七1579年/21歳
一、福島正則(ふくしま まさのり)尾張国:天正元1573年/13歳
一、脇坂安治(わきざか やすはる)近江国:天正二1574年/21歳

※生年、仕官年については諸説あります。

左から加藤清正、片桐且元(左手前)、脇坂安治、秀吉(中央)、平野長泰、糟屋武則、福島正則(右手前)、加藤嘉明。歌川豊宣「賤ヶ嶽大合戦之図」より。

こうして見ると、年齢的に「子飼い」と言えそうなのは元服前後の加藤清正と加藤嘉明、福島正則と、辛うじて糟屋武則が入るくらいでしょうか。

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