一緒に手柄を立てたのに(涙)豊臣秀吉の側近「賤ケ岳の七本槍」から洩れてしまった名将たち【上】 (4/4ページ)

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三成と吉継。後に終生の盟友となる二人も、この時はがむしゃらに戦場を駆け巡る若武者だった。

軍略に疎く、槍働きよりも算盤勘定に長けたことで出世した「文弱の徒」というイメージの強い三成ですが、決して軟弱な訳ではなく、人を使ったり軍勢を率いたりする器用さに欠けていただけなのかも知れません。

七本槍に負けず劣らず武勲を立てた彼らの中から、興味深いエピソードを紹介して行きたいと思います。

【続く】

参考文献:
池上裕子ら編『クロニック戦国全史』講談社、1995年12月
高柳光寿ら『戦国人名辞典』吉川弘文館、1973年7月
白川亨『石田三成とその一族』新人物往来社、1997年12月

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