明治時代、二宮尊徳を超える財政システムを追求した渋沢栄一と西郷隆盛

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明治時代、二宮尊徳を超える財政システムを追求した渋沢栄一と西郷隆盛

令和三2021年放送予定の大河ドラマ「青天を衝け」で主人公を務める渋沢栄一(しぶさわ えいいち)は、幕末維新を駆け抜けて近代日本の礎を築き上げた数々の功績によって「日本資本主義の父」と呼ばれています。

さて、そんな栄一が若き大蔵官僚の一人として財政改革に心血を注いでいた青年時代、彼の元を一人の大物が訪ねて来たのでした……。

相馬藩から「興国安民法」存続の陳情

「ごめんなし。しぶさぁどん、おいやしか(意:御免下さい。渋沢さん、ご在宅ですか……以下標準語)」

時は明治四1871年のある日、神田猿楽町(現:東京都千代田区)にあった栄一のあばら家にやって来たのは西郷隆盛(さいごうたかもり)

まるでご近所さんみたいなノリでやって来ましたが、木戸孝允(きど たかよし。桂小五郎)や大久保利通(おおくぼ としみち)と並ぶ「維新三傑」の一人として知られる西郷さんは、明治政府の最高官である参議(さんぎ)を務めています。

一方、大蔵大丞(おおくらたいじょう※)に過ぎなかった栄一は「こんな若輩者のところへ、ようこそおいで下さいました……」と恐縮してしまいました。

(※)現代の感覚に当てはめるなら、大蔵省の事務次官といったところでしょうか。決して低くはない役職ですが、いかに参議の権威が強かったかが察せられます。

「……それで、本日はどう言ったご用向きで?」

「うむ。相馬(そうま。

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