明治時代、二宮尊徳を超える財政システムを追求した渋沢栄一と西郷隆盛 (2/5ページ)
現:福島県浜通り北部)藩のことなんじゃ……」
その才智で多くの人々を救った二宮尊徳。Wikipediaより。
相馬藩には、かつて二宮尊徳(にのみや そんとく。金次郎)が財政改革のために定めた「興国安民法(こうこくあんみんほう)」というローカルなシステムがあり、その存続を陳情されたとの事でした。
ちょうど栄一たちは明治政府の財政改革を進めており、財政システムの全国化を図るべく、それまで藩ごとにまちまちだったローカル・ルールの撤廃に乗り出していたのです。
「相馬藩の連中から『西郷さんから、どうにかお願いして下さらんか』と頼まれてな。話の分かりそうな渋沢さんから、大久保や大隈(重信)、井上(馨)らを説得して欲しいんじゃ」
なるほど……栄一は内心で苦笑します。いかにも頼まれれば断らない西郷さんらしい。と言って、連中を説得する理論武装はない……だから、こうして与(くみ)しやすそうな自分を頼って来たのか、と。
「……お話は伺いました。時に西郷さん、あなたは二宮先生の『興国安民法』について、どんな法律かご存じでしょうか?」
栄一、西郷さんに「興国安民法」を解説栄一が訪ねると、西郷さんは真にキッパリ「まったく知らん」と答えます。