これが源氏武者の生き様だ。源頼朝の兄弟たちが迎えた悲運な最期【後編】

| Japaaan
これが源氏武者の生き様だ。源頼朝の兄弟たちが迎えた悲運な最期【後編】

前編では頼朝の兄弟である義平から範頼まで紹介しました。

後編では、打倒平氏のため挙兵した頼朝たち兄と共に戦った弟たちを紹介します。

前回の記事

これが源氏武者の生き様だ。源頼朝の兄弟たちが迎えた悲運な最期【前編】

七男・阿野全成

今若丸の幼名で呼ばれていた全成(ぜんじょう)は平治の乱の時に7歳だったため、醍醐寺へ出家させられます。この時に今若丸から全成と名を変えています。

阿野全成/Wikipediaより

全成は出家先の醍醐寺にちなんで醍醐禅師と呼ばれていました。また、荒くれ者だったこともあり、悪禅師とも呼ばれていました。

悪禅師の名称を物語るように、治承4年(1180)に以仁王が平氏打倒のため挙兵すると、全成もそれに呼応するように醍醐寺を抜け出し、修行僧に成りすまして東国へ向かいます。

同年に頼朝が石橋山の合戦で敗れた数ヵ月後、全成は佐々木定綱の力添えによって頼朝と対面を果たしました。

ピックアップ PR 
ランキング
総合
カルチャー