織田信長が怖れ、徳川家康を一蹴した武田信玄。一般に戦いの天才というイメージが強い信玄だが、それだけで戦国最強軍団を構築できたわけではありません。
ワンマンが多かった戦国時代において、信玄は家臣たちの意見を取り入れる合議制を行った大名でした。後編では、嫡男義信廃嫡事件を契機に家臣団を引き締め、戦国最強軍団に仕上げた信玄のリーダーシップを紹介しましょう。
前編の記事
武田信玄が戦国最強軍団を築けた秘密?それは、家臣の意見を採用する合議制にあった【前編】 嫡男信義の謀反で揺らぐ家臣団合議制を採用したことで、盤石かと思われた武田家臣団。しかし、1567(永禄10)年、思わぬことで揺るぎが生じてしまいます。それは、嫡男義信の謀反でした。
1560(永禄3)年、桶狭間の戦いで今川義元を討たれた駿河国主今川家は、後を継いだ氏真の代になると、三河の徳川家康の圧力に抗しきれなくなっていました。