誕生日は死へのカウントダウン?柳沢教授が考える誕生日を祝う理由

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誕生日は死へのカウントダウン?柳沢教授が考える誕生日を祝う理由

私たちは正月や誕生日など、人生の区切りになる日をを迎え年を重ね成長していく。しかしそれは、心身が衰え、やがて死を迎えるまでのカウントダウンでもある。年を重ねることは善きことなのか、忌むべきものなのか。

■死への一歩

「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

一休禅師(1394〜1481)の編んだ詩集「狂雲集」の一節である。一休には正月に人間の髑髏を刺した竹竿を持って練り歩いた驚くべき逸話がある。門松は正月の象徴であり、どこの家もめでたいめでたいとはしゃいでいるが、新年を迎えることは年を重ねること。つまり死に一歩近づいた一里塚=目印、標示である。一休は新年最初の日に、世の無常を説いたのである。

空気を読めと言いたくなるが、冥土の旅の一里塚と言われれば確かにその通りである。それでも人は年を重ねることを喜ぶ。誕生日がそれである。こちらは正月以上に「一里塚」を意識するだろう。しかし年を重ねることはただ無常であるだけだろうか。

■「天才 柳沢教授の生活」の一コマで扱った誕生日を祝う理由

そもそも誕生日とは何か。何故誕生日を祝うのか。山下和美の漫画「天才 柳沢教授の生活」の柳沢良則教授と共に考察してみたい。以下は柳沢教授と、学生たちが自分の60歳の誕生日を祝ってくれることに疑問を抱く江古田教授との問答である(26巻・第189話「祝宴までの道程」)。

「そもそも何故、誕生日を祝うこと当たり前になったのだ?」

■本気でわからない誕生日を祝う理由

江古田教授は誕生日を祝う意味がわからない。柳沢教授もまたわからない一人であった。筆者もそう改めて問われると、何がめでたいのかよくわからない。よくよく考えると至極当然である。何かを成し遂げたわけでも、逆に何かから解放されたわけでもない。32歳が33歳になったところで祝う意味は「特には」見出せない。生きていること自体に価値があるのだと言われれば確かにその通りなのだが、それなら30とか40とかキリの良い年齢でもよかろうと思う。

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