尊王攘夷運動が激しくなり、新しい時代のためその身を捨てて志を貫いた幕末の志士たち。
その中でも先駆けとして尊王攘夷を引っ張り、「安政の大獄(あんせいのたいごく)」で粛清された志士たちがいました。
今回は、安政の大獄の被害者となった志士たちを紹介します。
安政の大獄とは安政の大獄とは、大老・井伊直弼(いいなおすけ)のやることに反対した者たちの弾圧・粛清を目的とした政策のことです。
幕府が朝廷の許可を得ずに日米修好通商条約に調印したことや、将軍後継ぎを一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)ではなく徳川家茂(とくがわいえもち)にしたことなど、井伊直弼が中心となり行ったことに反対するものたちが続出。井伊直弼のやり方に反対する者たちを弾圧していった政策こそが安政の大獄です。
弾圧の対象となったのは、尊王攘夷論者や一橋派の者たちでした。特に、尊王攘夷の先駆けとなった梅田雲浜(うめだうんぴん)や橋本左内(はしもとさない)、吉田松陰(よしだしょういん)など、影響力の強い者や将軍後継問題に関与した者が捕縛されました。
安政の大獄で粛清された被害者安政の大獄での処罰の対象者は、100人以上。