尊王攘夷運動が激しくなった幕末、粛清の対象となった「安政の大獄」の被害者たち【前編】 (2/3ページ)

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その中には、処刑されたり獄死したりした人もいます。ここでは、処刑や獄死などで粛清された人物について紹介します。

梅田雲浜

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梅田雲浜は、小浜(おばま)藩士(現在の福井県)で幕末の儒学者の一人です。38歳の時藩主に海防策を提案したのが、藩政批判と捉えられたため藩籍を剥奪されてしまいます。

浪人となってからは、各地を遊説してまわり、尊王攘夷の指導者的な立場となっていきます。また、物産交易の仲介人としても成功し、志士たちを経済的に支え続けます。

しかし、日米修好通商条約反対や外国人排斥、一橋派の先駆けとして激しい幕政批判を行ったため、京都所司代に捕らえられます。江戸に移され、獄中で箒尻(ほうきじり)で何度も打たれるなど激しい拷問を受けましたそれでも彼は一切口を割らず、拷問による傷の悪化が原因で獄死しました。

死については、コレラにかかったとの説や毒殺説などさまざあな説があります。享年45歳。志を貫いた結果は、あまりにもむごい最期でした。

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