尊王攘夷運動が激しくなった幕末、粛清の対象となった「安政の大獄」の被害者たち【前編】 (3/3ページ)

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橋本左内

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橋本左内は、福井藩で藩主・松平春嶽(まつだいらしゅんがく)の右腕として奔走した早熟の天才でした。あまり知られていないのは、彼の生涯があまりにも短いものだったため。

16歳を迎えた時には、「池中の蛟竜(ちちゅうのこうりゅう)」と呼ばれます。「これから世にでるのを待たれる大きな才能」というような意味です。

彼は交際範囲が広く、藤田東湖(ふじたとうこ)、梅田雲浜、横井小楠(よこいしょうなん)らと通じ、特に西郷隆盛(さいごうたかもり)とは、影響を与えたと言っても過言でないほど親しい間柄でした。西郷は、死の直前まで橋本左内の手紙を大切にしていたと言われています。

橋本左内は、藩主の命を受け一橋慶喜の将軍後継に奔走しますが、安政の大獄で一橋派とともに弾圧の対象となります。「藩主の命で幕府のためにしたこと」と一貫して意見を曲げなかったことが、責任逃れと咎められ、最期は斬首されてしまいました。

享年26歳。あまりにも不運な生涯でした。

まとめ 前編

前編では、安政の大獄の概要と粛清されてしまった梅田雲浜と橋本左内の略歴を紹介しました。大老井伊直弼のやることに反対したものが処罰の対象となった安政の大獄。尊王攘夷論者と将軍後継問題に深く関与した者が粛清されています。自由に意見を述べることを許されなかった時代の悲しい被害者たちの末路でした。

後編では、吉田松陰や普段あまり表に名前が出ない粛清された被害者を紹介します。

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