福岡県春日市の日拝塚古墳の歴史や太陽との関係性を調べてみた

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福岡県春日市の日拝塚古墳の歴史や太陽との関係性を調べてみた

1年のうちで最も、昼の時間が長い日である夏至(げし)。今年は6月21日だったが、東京都心では、午前中は雲が出ていたものの、10年ぶりに昼間の日照時間が4時間超えになるほどの晴天となった。そんな折に心配なのが、夏バテや熱中症はもちろんのこと、「お肌の大敵」である強力な紫外線などが挙げられるが、無理をせずに太陽の光の下で運動を行うことは、体内カルシウムの生成を促すビタミンDを作り出すことや、「心の病」の原因のひとつとされるセロトニン不足を解消させるなど、人間の体にとても有効だと言われている。

■太陽からの恩恵に感謝し崇拝する太陽信仰

このように人間のみならず、地球上のありとあらゆる動植物に恩恵をもたらしてくれる太陽だが、古今東西、太陽そのものを神として崇め、同時に恐れて立派な神殿を建てたり、太陽神をかたどった像をつくって祈ったり、または季節ごとに、農作物の豊穣のため、そして収穫期には感謝のための儀式が執り行われてきた。こうしたいわゆる直接的な「太陽信仰」と関連があるかどうかは不明だが、その片鱗を伺わせるものである可能性がある日本の古墳を紹介する。

■太陽と関連がありそうな名前を持つ福岡県春日市の「日拝塚(ひはいづか)古墳」


それは、福岡県中西部の春日市下白水南(しもしろうずみなみ)、県内を流れる那珂川(なかがわ)と福岡平野を一望できる標高30mほどの河岸段丘の上に所在する、「日拝塚(ひはいづか)古墳」だ。6世紀前半、古墳時代(3世紀半ば〜6世紀末)後期に造営されたと考えられる前方後円墳だ。現存部の全長41.2m、後円部が3段、その径は22m、高さ5.9m。前方部より1mほど高い。そして前方部が2段、幅は34m、高さ5.4m。墳丘はおよそ45m。周溝部まで含めれば、61mにも及ぶ。後円部中央には、花崗岩を用いた横穴式石室があり、奥行き3.6m、幅2.6m、高さ4m。

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