一本のネジから造船所へ…小栗上野介忠順が計画した幕末最大の国家プロジェクト「横須賀造船所」

| Japaaan
一本のネジから造船所へ…小栗上野介忠順が計画した幕末最大の国家プロジェクト「横須賀造船所」

「日本海海戦でロシア艦隊を破ることができたのは、小栗さんが横須賀造船所を造っておいてくれたおかげです」

このように語ったのは、日露戦争で、当時、世界最強と謳われたロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎(とうごうへいはちろう)連合艦隊司令長官です。東郷平八郎は、明治45年(1912)、小栗上野介忠順(以下小栗忠順)の子孫・又一を自邸に招待した際に、小栗忠順が横須賀造船所を造ったことに多大な感謝の意を示したと言います。

東郷平八郎の言葉が示している通り、横須賀造船所は明治時代の日本海軍の発展に大きく貢献しました。幕末に「幕府史上最大」の国家プロジェクトとして計画された「横須賀造船所」は、当時の日本の行く末を案じる小栗忠順の強い思いを持って誕生することになります。

遣米使節団 前列右から2人目が小栗 Wikipediaより

…話は、日露戦争からおよそ40年余遡ります。安政7年(1860)に幕府は遣米使節団を出していますが、その中に小栗忠順がいました。一団はフィラデルフィアでの日米修好通商条約の見直し交渉をした後、アメリカ各所を歴訪します。

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