瞑想やエクササイズで知られるヨーガの本来の目的はこの世からの解脱

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瞑想やエクササイズで知られるヨーガの本来の目的はこの世からの解脱

ヨーガというと様々なポーズで健康やダイエットのためのエクササイズとの認識がほとんだろう。しかし本来の古典的なヨーガとは心を統御して、真の自分に目覚め、この世から解脱することを目指すことを示す。

■サーンキヤ学派の宇宙論

今日知られているヨーガはハタ・ヨーガという身体操作を主とする体系である。それより以前の古典ヨーガ(ヨーガ学派)は古代インドで成立した「六派哲学」のひとつ。同じ「六派哲学」のサーンキヤ学派の哲学を実践的に展開した。

サーンキヤ学派は世界を「プルシャ」(純粋意識)と「プラクリティ」(物質原理)で構成されているとする二元論的な説明をする。プルシャは「真我」とも訳される「本来の自分」である。「霊」「魂」と考えてもよい。プラクリティは、今こうして存在している自分自身を含む物質世界のすべてのことである。このプラクリティのバランスが崩れ、我々が生きているこの物質世界が誕生したと説く。物質世界はプラクリティの現れである。
プラクリティはまず精神、理性そのものの「ブッディ」(純粋意識)という形で現れる。次にエゴ、自我意識「アハンカーラ」が生まれ世界を分別する。そして思考や欲望「マナス」が生まれる。ブッディ(精神の素)が生まれ、アハンカーラ(僕、私)となり、マナス(考える、欲しがる、喜怒哀楽)が生じるとしてもよい。さらにその後、行動器官、五感…などが生まれ 地水火風空の5大元素が形成される。
本来の自分たるプルシャは生成変化するプラクリティを見ている。ただ見ているのではない。映画やテレビを観たり漫画や小説を読み、没頭している状態である。本来の自分を忘れ、フィクションであるはずの物語の登場人物と一体になってしまっている。これがプルシャとプラクリティの関係である。

■サーンキヤ学派の心身論

心が先に生まれ物質はその後というのが面白いが、サーンキヤ哲学では心も物質もプラクリティの現れの違いに過ぎない。「心」も物質だという。サーンキヤ哲学は「魂(霊)」と「心・物」の二元論である。私たちはデカルトの「心」と「物」の二元論に慣れている。これだとなぜストレスで胃に穴が開くのかといった心身問題が生じる。

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