生と死の境界が揺らいでいる現代 日常にある生死の境界とは

| 心に残る家族葬
生と死の境界が揺らいでいる現代 日常にある生死の境界とは

生きるということ、生活するということは世界を分節し、境界を設定することに他ならない。様々な境界を設定し合うことで世界は成り立っている。その中でも生と死を分かつ境界について考察した。

■様々な境界

災害の際に避難所で幾日か過ごさざるをえなくなる時、多くの場合は広い部屋で雑魚寝という形になる。こうした時も私たちは布団なり荷物で自分のテリトリーを作ることで精神的な安定を得ようとする。それでもオープンな環境はストレスがたまるものだ。そこで近年ではダンボールのパーテーションを取り入れられている。単にプライバシーを守りたいだけでない。私たちは常に内と外の境界を設定しているのである。

■自分と他人の境界

精神科医で発達心理学者のマーガレット・マーラー(1897〜1985)が提唱した「分離・固体化理論」によると、生後6か月ほどまでの乳児は自己と他者との区別はまだついておらず、自己と母親が一体であるとの認識を持っているという。3歳くらいまでの成長過程で母親の対象化、母親からの分離などが行われるとされる。ここから自我と非我、内面と外的世界の境界が設定される。私たちは何かを分かつことで世界を作っていく。

■日常の中の非日常

近年では住宅事情などで変化しつつあるが、かつてはどの家にも神棚や仏壇が置いてあった。空間に余裕のある家には仏壇のための仏間もあった。御札、御本尊、位牌、遺影…。神棚にしろ仏壇にしろ、その奥にはこの世ならざる世界とつながっているとされる。この世とあの世の境界を意味する小さな棚は日常の中の非日常である。子供心に粗相をしてはならない特別な空間であること。それは超えてはならない境界であることを意識したものである。

■元プロ野球監督の野村克也氏の遺体がTwitterに投稿された

日常の中の非日常といえば、元プロ野球監督の野村克也氏(1935〜2020)が死去した時の事である。野村氏の息子がその遺体をツイッターに掲載したとしたことで賛否が分かれた。「不謹慎」だとの声もあり「お顔が見れて良かった」との意見もあった。筆者も拝見したがツイッターには2枚の画像が掲載されていて、1枚目は斎場と思われる場所で棺桶に横たわる野村氏の横顔。

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