浄土三部経の一つである「観無量寿経」が示す生死を超える道

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浄土三部経の一つである「観無量寿経」が示す生死を超える道

死に対するテキストの一環として仏教の「浄土三部経」のひとつである「観無量寿経」を検討する。悲惨な境遇に置かれたひとりの女性を通じて、人間の弱さと劣悪さを指摘し、生死を乗り越える道を示している。

■観無量寿経とは

「仏説 観無量寿経」(以下、「観経」)は「無量寿経」「阿弥陀経」と並ぶ浄土系仏教の聖典である。冒頭を飾るのはよく知られる「王舎城の悲劇」である。マガダ国の阿闍世(アジャセ)王子は、悪友の提婆達多(ダイバダッタ)の教えに従い、父・頻婆娑羅王(ビンビサーラ)を牢獄に幽閉した。母・韋提希(イダイケ)夫人は、密かにバターと乾飯を混ぜた粉末をその身に塗り夫に与え、王は餓死を免れていた。しかしこれは間もなく発覚し、王子は韋提希までも幽閉。王は餓死することとなる。次は自分の番と死に怯え、己の境遇に嘆き悲しむ韋提希に、遙か遠方にいる釈迦は超常的な神通力を発揮。極楽往生のための具体的な方法を説くという物語になっている。釈迦は韋提希に13の観相法(イメージを使った瞑想法)と、それができない者のために念仏を唱えるだけの称名念仏を説いた。

水をイメージする「水想観」、宝樹をイメージする「樹想観」などを経て、仏の姿や極楽浄土の非常に細かい、具体的なイメージを要求する観相に至る。「観経」は極楽に往生するための具体的な瞑想テキストである。その一方で、当初は己の境遇に悲嘆するだけだった韋提希の内面に変化が現れていく描写から、末期患者へのスピリチュアルケアの要素などが読み取れる。なお阿闍世は後に激しく後悔し苦しみ、釈迦の慈悲に救われることになる(詳細はこちら)。

■凡人・韋提希の死の受容

前述のあらすじでは実の息子に幽閉され、夫を殺された韋提希は悲惨の極地である。しかし一方の事情を読むと、韋提希に全面的に同情できるものでもなくなる。善導(613〜681)による注釈書「観無量寿経疏」によると、世継ぎにめぐまれなかった王は、仙人が3年後に死んだ後に王子として生まれ変わるとの予言を受け、待ちきれずその仙人を殺してしまった。

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