「関ヶ原の戦い」で翻弄された島津義弘!玉砕戦術 ”捨て奸”に至るまでの壮絶なドラマ【前編】

| Japaaan
「関ヶ原の戦い」で翻弄された島津義弘!玉砕戦術 ”捨て奸”に至るまでの壮絶なドラマ【前編】

なぜ「捨て奸」が必要だったのか?

かの島津義弘は、関ケ原の戦いで有名な「捨て奸(すてがまり)」というある種の玉砕戦術を採用しています。

死亡率100パーセント!日本史上唯一の玉砕戦法「捨て奸(すてがまり)」とは!?

それにしても、なぜこの壮絶な戦術が必要になったのでしょうか。その経緯を辿ると、関ケ原の戦いで島津が負った苦労と悲運が見えてきます。

島津義弘は薩摩国(現在の鹿児島県)の武将です。兄である戦国大名・島津義久を補佐し、島津家の勢力拡大に尽力していました。豊臣秀吉とは九州平定の際に一戦交えたものの、その後は秀吉に協力し、朝鮮出兵にも参戦しています。

ピックアップ PR 
ランキング
総合
カルチャー