往年のパ・リーグを象徴する大投手、村田兆治氏が11月11日、自宅火災により72歳で亡くなった。
「今年9月、羽田空港の保安検査場での逮捕騒動があって以降、ご本人も公の場での活動を自粛していた。そんな矢先の訃報とあって、多くの野球ファン、そして生前の氏をよく知る関係者の間にも動揺が広がりました」(全国紙運動部記者)
その一人で、ロッテでともにプレーした愛甲猛氏は、村田氏に薫陶を受けた若き日を、こう言って振り返る。
「俺の知る限り、野球に対する実直さは兆治さんがダントツ。投げること以外に、あんなに不器用だった人を俺は他に知らないよ」
マウンド同様、日常においても、その一本気な姿勢は変わらなかったという。
「俺ら若手が先に上がるなんて許されないから、キャンプでは基本、常に“兆治さん待ち”。投内連携には一切参加しない人だから、試合でサインプレーを使うこともほぼなかった。一塁送球も普通に“マサカリ”で来るから、守ってて、めちゃ怖かったしね」(前同)
積み上げた勝利は215勝。しかし、その不器用さゆえに、「守備がもっとうまかったら、あと20勝はしていた」との声も上がる。
ロッテ時代、村田氏の剛速球をノーサインで受けた女房役、袴田英利氏との“阿吽の呼吸”も有名だ。
「現役晩年のオリックス戦で、藤井康雄から本塁打を打たれて、兆治さんが“あんなとこで真っすぐのサイン出すんじゃねぇ”って怒ってさ。ヒデさんが“全部ノーサインだろうが!”って、ベンチ裏でグラブを叩きつけていた姿は、いまだに覚えている(笑)。