伊豆の片田舎で嫁き遅れていたじゃじゃ馬娘が、気づけば鎌倉殿の尼御台として、天下の御家人たちに君臨していた。
そんな空前絶後の活躍を果たした北条政子(ほうじょう まさこ)。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、小池栄子さんの眼力あふれる演技が輝いていましたね。
さて。伝説の名演説によって後鳥羽上皇(演:尾上松也)との決戦を主導し、承久の乱を勝利に導いた彼女は、弟である執権・北条義時(演:小栗旬)の死後もしばらく生きます。
北条政子。源氏三代の遺跡を守り抜くべく、御家人たちを主導した。菊池容斎『前賢故実』より
今回は、大河ドラマでは描き切れない北条政子の最期を紹介。鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』をひもといていきましょう。
政子・最後の半年間をたどる北条政子が世を去ったのは嘉禄元年(1225年。元仁2年より改元)7月11日。義時が世を去った翌年のこと。当年の1月から記録をたどります。
1月14日……政子が鶴岡八幡宮で国家鎮護のため仏事(最勝八講)を始める。以後毎月の恒例に。
5月1日……疫病が流行ったため、政子が御家人たちに相談の上で般若心経の写経を命じる。
5月3日……御所内にある政子の邸宅を板塀で区切る(療養のため、騒音対策か)。
5月29日……政子が体調不良。
6月2日……政子の快癒を願い、北条泰時(演:坂口健太郎)が祈祷を始める。
6月3日……祈祷の甲斐あってか、政子の体調が少し回復。
6月5日……しかし泰時は油断せず、祈祷を続けさせる。
6月7日……政子の体調が悪化。