尼将軍・北条政子の最期。嘉禄元年7月11日を『吾妻鏡』はこう書いた【鎌倉殿の13人 後伝】 (4/4ページ)

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前陰陽助親職朝臣令沙汰。但自身不參。差進門生宗大夫有季云々。

※『吾妻鏡』嘉禄元年(1225年)7月12日条

政子の死は翌7月12日の午前4:00ごろに発表され、彼女を慕う多くの男女が出家しました。中でも一番早く出家したのは二階堂行盛(にかいどう ゆきもり二階堂行政の孫)とのこと。

夜8:00ごろに火葬とされ、導師は前陰陽助(さきのおんみょうのすけ。陰陽寮の元次官)安倍親職(あべ ちかもと/しんしき)の代理に、弟子の惟宗有季(これむね ありすえ)が務めたということです。

終わりに

最愛の頼朝と、大志を語らっていたあのころ(イメージ)

以上、政子の最期について紹介して来ました。源頼朝と結婚したばっかりに、娘たち(大姫・三幡)は権力に振り回され、息子たち(頼家・実朝)も非業の死を遂げる散々な人生でした。

彼女の幸せな時期と言えば恐らく挙兵前、伊豆の片田舎で大姫(演:難波ありさ)と親子3人で暮らしていたあの頃だったのではないでしょうか。

どうかあちら側では、家族みんなで幸せに暮らして欲しいと思います。

※参考文献:

五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 9執権政治』吉川弘文館、2010年11月 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月

トップ画像:大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより

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