天下人の兄とは大違い?織田信長の愚かでまぬけな弟・織田信照がたどった生涯【どうする家康】

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天下人の兄とは大違い?織田信長の愚かでまぬけな弟・織田信照がたどった生涯【どうする家康】

天下布武を掲げて戦国乱世を戦い抜いた織田信長(演:岡田准一)。類まれなる英傑として知られていますが、その資質は兄弟間でムラがあったようです。

今回の主人公は信長の弟・織田信照(おだ のぶてる)。『張州府志』によれば「織田越中者天性魯鈍人也(織田越中守=信照は生まれつき魯鈍[ろどん…おろかでにぶいこと]である)」などと酷評されています。

果たして彼は戦国乱世を生き残れたのか、ちょっと心配になってきました。さっそくその生涯をたどってみましょう。

尾張一の美青年だったかも?

「どうして兄弟でこうも似ないものか……」織田信秀は複雑な思いだったかも(イメージ)萬松寺蔵(画像:Wikipedia)

織田信照は天文15年(1546年)、織田信秀(演:藤岡弘、)の十男として生まれました。

母親は尾張熱田の商家から連れてきた娘(中根氏)、『尾張誌』によれば彼女は尾張国で一番の美人(尾張第一の美麗)だったそうです。

男児は何かと母親に似る(ただし例外も多数)と言いますから、さぞ美青年に成長しただろうと期待されます。

しかしあまりの魯鈍さゆえか、ほとんど引きこもって過ごしたそうです。

後に母の伝手で中根忠貞(なかね たださだ)に養子入り、中根信照とか織田中根と呼ばれました。

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