天下人の兄とは大違い?織田信長の愚かでまぬけな弟・織田信照がたどった生涯【どうする家康】 (2/3ページ)
信長の在世中これといった活動はなく、目立つのは天正9年(1581年)に京都で行われた馬揃に参加したくらい。
兄の織田長益(ながます。有楽斎)、織田長利(ながとし。又十郎)はもちろん、甥の織田信弌(のぶかず。本橋勘七郎)よりも格下として名を連ねています。
「信長様の弟」ゆえに命拾いそんなパッとしない信照は、天正10年(1582年)に本能寺の変で信長が横死すると、甥の織田信雄(のぶかつ。信長次男)に仕えました。
天正12年(1584年)の小牧・長久手合戦では信雄に従って奥城を守備しますが、羽柴秀吉(演:ムロツヨシ)に攻められあっさり陥落。
斬られそうになったところを「かつてお仕えした信長様の弟君だから」と助命されました。
今まで「信長の弟」であることで引け目を感じていたかも知れませんが、この時ほど信長の遺徳に感謝したことはなかったでしょう。
その後も信雄に仕えて重用され、沓掛城主として二千貫文の高禄に与りました。
文禄3年(1594年)に織田家とゆかりの深い熱田神宮に長刀を奉納したのを最後に記録が途絶えた信照。晩年はのんびり暮らしたのかも知れませんね。
そして慶長15年(1610年)10月18日、65歳で生涯を終えたのでした。
終わりに以上、信長の弟・織田信照を紹介してきました。最後に笑い話を一つ。
ある時、信照は「馬を五十頭持っておる」とホラを吹きました。誰も信じなかったので、信照は屋敷に戻って本当は一頭しかいない馬を、小者に命じて日がな一日洗わせたのでした。