暗愚の悪評も…武田勝頼が悪評を受けた理由と実際におこなった功績を紹介【どうする家康】

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暗愚の悪評も…武田勝頼が悪評を受けた理由と実際におこなった功績を紹介【どうする家康】

『どうする家康』において信玄の後継として徳川家康と対峙した武田勝頼(たけだかつより)。設楽原の戦いでは決死の突撃を選び、勝ち目のない戦いには撤退を選ぶ父・信玄の対比ともいえるシーンと言っても過言ではないかと思います。

優秀な父を持つと自然と2世は比較されてしまいがちで、意外にも「勝頼は暗愚だった」との評価が残っています。果たして、勝頼がこのような評価を受けた原因は何だったのでしょうか。

そこで今回は、勝頼が暗愚という評価を受けた原因と、勝頼が残した功績を同時にご紹介します。

武田勝頼/Wikipediaより

勝頼が暗愚と評価された理由

武田勝頼(右)/Wikipediaより

勝頼が暗愚として評価されたのは江戸時代が始まりです。

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