栄枯盛衰は世の習い、永い歳月の末(あるいはほんの短期間で)かつての主従関係が逆転してしまうことは珍しくありません。
戦国時代における織田家と羽柴(豊臣)家もその例にもれず、かつて父(織田信長)の草履取りだった男(羽柴秀吉)に隷従することを余儀なくされてしまいました。
今回は信長が遺した娘たちの中から、三ノ丸殿(さんのまるどの)と呼ばれた女性を紹介。果たして彼女は、どのような運命をたどるのでしょうか。
他のみんなは「室」なのに……12人姉妹で1人だけ「妾」な九女まずは信長の娘たちについて、江戸時代の系図集『寛政重脩諸家譜』を見てみましょう。
女子 母は信忠におなじ。岡崎三郎信康君の室。
女子 蒲生飛騨守氏郷が室。
女子 筒井伊賀守定次が室。
女子 前田肥前守利長が室。
女子 丹羽五郎左衛門長重が室。
女子 二條関白昭實公の室。
女子 萬里小路大納言充房が室。
女子 水野東市正忠胤が室、のち佐治與九郎一成に嫁す。
女子 豊臣太閤秀吉の妾、三丸と称す。
女子 中川右衛門大夫秀政が室。
女子 徳大寺中納言實冬が室。
女子 實は苗木勘太郎某が女、信長に養はれて武田四郎勝頼が室となる。