親しい者を殺されたら、その仇を憎むのは人としてごく自然な感情だと思います。
いざ仇を前にすれば、積年の怨みを晴らすべく、少しでも惨たらしく殺してやりたい気持ちは解らなくもありません。
しかし中にはそうした私怨を抑えて、天下公益に則した振る舞いをする者もいました。
今回はそんな一人・鳥居成次(とりい なりつぐ)のエピソードを紹介したいと思います。
伏見城で父を討った石田三成の身柄を預かる鳥居彦右衛門(鳥井彦右エ門)元忠。歌川芳虎「東照宮十六善神之肖像連座の図」より
鳥居成次は元亀元年(1570年)、鳥居元忠と正室・松平家広女の三男として誕生しました。
鳥居家は代々松平家(徳川家)に仕えた譜代の家臣、鳥居元忠は主君・徳川家康の人質時代から付き従った忠臣です。