褒められたい、世間に認められたい、有名になりたい。
こうした承認欲求は、誰もが大なり小なり持っている。この欲求があるからこそ人は努力したり、一つのことに集中して取り組むことができるが、あまりに承認欲求が肥大化すると自分を実際以上に大きく見せたり、ウソをついて体裁を取り繕ったりといったことにもなる。
まさに諸刃の剣である承認欲求に振り回される人々を描いたのが、『地図と拳』で直木賞を受賞した小川哲さんの新作『君が手にするはずだった黄金について』(新潮社刊)だ。
SNS全盛の今、肥大する承認欲求は「現代病」。今回は小川さんにお話をうかがい、この連作短編集の成り立ちについて、そして承認欲求との付き合い方についてお話をうかがった。その後編をお届けする。
■小川哲が新刊『君が手にするはずだった黄金について』で描く「承認欲求」と「オリジナリティ」――「偽物」も承認欲求が大きく関わっている作品ですね。漫画家の「馬場」は人から聞いた話をもとに漫画を描いているわけですが、聞いた話を脚色することなくそのまま描いてしまう。一方で、「僕」もまた脚色は加えるものの、人から聞いた話を小説として書くこともある。両者の違いはどこにあるのか、と考えるのは「オリジナリティとは何か」を考えることです。
小川:簡単に答えが出る問題ではないですよね。「完全なるオリジナル」で小説を書いていると言い切れる作家はいなくて、みんな恐る恐る創作をやっているのだと思います。
ただ、作家それぞれに「踏み越えてはいけない一線」というのもあって、それを越えないように何とかやりくりしているということなのでしょう。
極端なことは言えば「オリジナルなんて存在しない」と言えますし、同時にその人が生きてきた過程で見聞きしたことが、その人の考えや思想を通してアウトプットされるのが小説なので、「すべてがオリジナル」とも言えます。あらゆる創作はこの両者の間にあるんだと思います。