皆さんは、試験に落ちたことがありますか?
試験に落ちてしまった時は、誰でも大なり小なり悔しいものです。もちろん筆者も経験があります。時には悔しいだけでなく、人生すら左右することもあったでしょう。
それは今も昔も変わりなく、平安時代の人々にとっても、生活に雲泥の差が出たのでした。
今回は試験に落ちた悔しさあまり、暴行事件を起こしてしまった藤原道長のエピソードを紹介。
同姓同名の他人とかではなく、かの「この世をば……」と詠んだあの道長本人です。
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「そなたら、何をするか!」
「「「いいから黙って来やがれ!」」」
拉致された先は道長の邸宅。さっそく道長が用件を切り出します。