賄賂で座敷がいっぱい
江戸時代中期の旗本、大名、江戸幕府老中、田沼意次(たぬまおきつぐ)という名は、長い間「賄賂政治家」「悪徳政治家」の代名詞のように伝えられてきました。では、実際には彼はどんな政治家だったのでしょうか。
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どちらの財政政策も理にかなっていた。江戸時代の田沼意次の財政政策と松平定信の寛政の改革従来のイメージを覆す説が、現在では定説となっているのです。
江戸時代中期の1719(享保4)年、意次は600石の旗本田沼意行の子として生まれ、家督を継いだ後は順調に昇進。その後、老中にまでのぼりつめて幕閣の実権を握りました。
実力者となった「田沼様」のもとには、その権力を頼って近づいてくる者が増えます。田沼屋敷には毎日、早朝から訪問客が列をなすようになったといいます。
客から預かった刀を置く部屋は、たくさんの刀で青海波(波形の染め模様)を描いたようになったという伝説まであります。