賄賂政治家として知られる田沼意次の実像に迫る!従来の負のイメージが覆る驚愕の学説を紹介 (2/3ページ)
訪問客は刀だけ差してきたわけではなく、屋敷の廊下には小判のほかにも客からの贈答品がうず高く積まれていました。
また、ある時は、意次がイワセキショウという植物を観賞すると分かると、2、3日後にはあちらこちらからイワセキショウが贈られてきて2つの座敷がいっぱいになってしまったといいます。
もともと意次は、
「金銀は人の命に代えられないほどの宝なり。その宝を贈ってでも御奉公したいと願うほどの人であれば、志は忠であることは明らかです。その志の厚い薄いは贈り物の多少にあらわれる」
とも公言していたとか。そんな信念もあってのことでしょう、彼は自分が賄賂を使って出世したように、人の出世も賄賂によって世話をしたのでした。
以上の記録から、最初に書いた通り意次は「賄賂政治家」「悪徳政治家」であるというイメージが定着したのですが、これに対して近年、異論が唱えられています。
まず多くの専門家や研究者に指摘されているのが、賄賂に対する意識が当時の人々と現代人では違ったということです。
賄賂が始まったのは意次の時代からではなく、室町時代も盛んに行われていました。
そして意次の時代には、人の世話をしたら礼を受け取るのは当たり前のことだという風潮があったのです。
つまり、意次もその風潮というか当時の礼儀にならっただけだということです。
「役人の子はにぎにぎをよくおぼえ」という有名な江戸川柳が世に広まったのも意次の時代であり、意次に限らず、多くの役人が賄賂を受け取っていました。
