「江戸は寒村だった」は作られたイメージ!実は徳川家康の江戸入り前から交通・交易の要所だった【前編】

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「江戸は寒村だった」は作られたイメージ!実は徳川家康の江戸入り前から交通・交易の要所だった【前編】

江戸は「寒村」、江戸城は「粗末」?

江戸の町はもともとは寂れた寒村に過ぎず、それが徳川家康の開発によって繁栄。そこに至るまでの「国替え」は、豊臣秀吉の謀略だったという説が一般的です。

静岡駅前の徳川家康像

しかし実は、江戸という地域の重要性が分かっていたからこその国替えだったことが、今でははっきりしています。今回はそれについて前編・後編に分けて解説しましょう。

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徳川家康が江戸入りした時の様子は、半ば伝説として後世に語り継がれています。

全国統一に邁進する豊臣秀吉が北条氏を滅ぼしたのは1590年のこと。豊臣政権下の有力大名だった家康に与えられた江戸城は、茅葺き屋根の上に土を塗り、板葺き屋根も薄く粗末な城だったと伝えられています。

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