包囲された城に”踊りながら入城”?幕末の会津戦争で実際にあったとんでもない伝説の奇策とは

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包囲された城に”踊りながら入城”?幕末の会津戦争で実際にあったとんでもない伝説の奇策とは

日本最大級の内戦といわれる会津戦争、語られるのは悲惨なことがほとんどですが、なかには藩士が会津伝統の彼岸獅子を踊りながら城に逃げ込んだという痛快なエピソードもあります。

今回は会津戦争について詳しく紹介しながら、彼岸獅子を踊った藩士についても紹介したいと思います。

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会津戦争とは

1867年の大政奉還により、新政府軍と旧幕府軍の間で「戊辰戦争」と呼ばれる戦いが勃発。
日本各地で大きな戦いが巻き起こり、日本最大級の内戦とも呼ばれています。

なかでも、会津藩の処遇をめぐっておきた戦いのことを「会津戦争」と呼びました。

会津戦争勃発のきっかけ

当時の会津藩主・松平容保は、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が破れたことを知り、徳川慶喜の指示に従って会津に戻り、謹慎していました。

しかし、おとなしく謹慎していた藩主・松平とは裏腹に、会津藩内のあいだでは好戦的な主戦論をとなえる者が多くいたのです。

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