百姓の倅から一代で天下人へと成り上がった豊臣秀吉。派手な言動で人々を惹きつけ続けたその生涯は、日本史を大いに彩ったと言えるでしょう。
そんな秀吉の派手さを象徴する一つとして、黄金の茶室が挙げられます。
茶の湯(茶道)を嗜む場でありながら、侘寂(わびさび)とは一切無縁。豪華の過ぎたるは却って野暮が如し、元々育ちのよろしくない秀吉の悪趣味ぶりを、いかんなく発揮した作品と言えるでしょう。
今回はそんな黄金の茶室について、紹介したいと思います。
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千利休が切腹させられたのはなぜ?政治利用された「茶の湯」と謎の処刑理由 黄金の茶室がたどった歴史秀吉が黄金の茶室を披露したのは天正14年(1586年)1月、年初の参内において御所へ運び込み、正親町天皇(おおぎまちてんのう。第106代)の天覧に供されました。
……くわんはく(関白)こかね(黄金)のすき(数寄)のさしき(座敷)もちて御まいり候て。