「裏の吉原」江戸時代に庶民が通った“非公認な裏の色街” 岡場所の知られざる実態

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「裏の吉原」江戸時代に庶民が通った“非公認な裏の色街” 岡場所の知られざる実態

幕府非公認の色街

幕府公認の遊廓だった吉原ですが、利用できるのは大名や旗本、諸藩の留守居役、豪商の放蕩息子など富裕層に限られていました。

よって庶民や下級武士は岡場所宿場など、幕府非公認の色街に足を運ぶようになります。

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では、この非公認の色街の実態はどのようなものだったのでしょうか。

もともと岡場所の「岡」は「傍目」などと同じく、「脇」や「外」という意味です。岡場所は宝暦~天明年間(1751~1789)に最盛期を迎え、江戸市中だけでも70ヶ所以上が存在していました。

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