徳川幕府、威信失墜の始まり「天保の改革」――水野忠邦の失策と薩摩・長州の成功を比較

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徳川幕府、威信失墜の始まり「天保の改革」――水野忠邦の失策と薩摩・長州の成功を比較

権威低下を招いた「改革」

幕末期の、江戸幕府の衰退がどの時点から始まったと言えるかは諸説ありますが、有力な説のひとつが「天保の改革」がその原因だったとするものです。今回はこれについて解説します。

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天保の飢饉やモリソン号打ち払い事件、頻発する百姓一揆、蛮社の獄など内外の諸問題が起きていた時期、これに対応するため首席老中に任命されたのが水野忠邦です。

彼が実践した改革が天保の改革で、これについては昔から教科書にも掲載されているので覚えている人も多いでしょう。

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