神になりたい
豊臣秀吉が亡くなったのは慶長三年八月十八日で、享年六十二歳。当時、日本中の武将の多くは秀吉の命で朝鮮に出兵しており、秀吉の死は撤退が完了するまで極秘とされました。
そのため、天下人にふさわしい盛大な葬儀は行われず、内々の仏事だけで済まされました。
しかし水面下では、秀吉の遺言を実現するための動きが進んでいました。秀吉は死後に神として祀られることを望んでおり、朝廷に新八幡という神号を求めていたのです。
そもそも八幡神は武家の守り神であり、軍神でもあります。その八幡の名を得ることは武家の頂点に立つことと同じ意味を持っていました。
朝廷からの返答を待たぬまま、京都・阿弥陀ヶ峰では社殿の工事が急ピッチで進められます。徳川家康をはじめ多くの大名が社殿に入る様子を見て、神道家の梵舜は「何かおかしい」と日記に記しました。
翌年一月に朝鮮からの撤退が完了すると、ようやく秀吉の死を公表します。