神業の行軍
戦国時代に詳しい人なら、中国大返しのことは当然ご存じでしょう。
豊臣(羽柴)秀吉が本能寺の変を知るや否や、備中高松城から京都まで一気に駆け抜けたというあの伝説のエピソードです。
※中国大返しに関する記事:
豊臣秀吉が明智光秀を討つために決行した「中国大返し」は本当に速かったのか? 「本能寺の変」後、豊臣秀吉が驚異的なスピードで行軍したという“中国大返し”ができた理由 電光石火の光秀討伐!羽柴秀吉は「中国大返し」をいかにして成し遂げたかこれは八日で約二百キロを踏破した神業の行軍として、秀吉の天下取りの決定打のひとつとして今でも語り継がれていますね。
しかし伝説は伝説です。この「神業」にはかなり現実的な裏側がありました。
そもそも『惟任退治記』や『甫庵太閤記』によって伝えられている「一昼夜で七十キロ」という進行速度は秀吉自身のアピールが強く、誇張の可能性が高いのです。