NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で池松壮亮が演じている豊臣秀吉の天下獲りを支えた武将たちの中には、派手な知名度こそないものの、驚くほど波乱に満ちた人生を送った人物がいます。
その一人が、加藤光泰(かとう みつやす)です。
もとは美濃の斎藤家に仕えながら、主家滅亡によって牢人となり、やがて秀吉のもとで武功を重ねて大名へ。しかしその後、秀吉の怒りを買って改易されるという大失敗を犯します。
それでも光泰は終わりませんでした。赦免後に復活を果たし、ついには甲斐24万石の国主へ。そして朝鮮出兵では「砂を食ってでも耐え忍ぶ」と豪語するほどの血気を見せた末、石田三成らに毒殺されたという噂まで残されることになります。
出世、失脚、復活、そして謎めいた最期——。
今回は、豊臣家臣団の中でもひときわ荒々しい生涯を送った武将・加藤光泰の足跡をたどってみましょう。
信長に武勇を見込まれ、秀吉の家臣に加藤光泰は天文6年(1537年)、加藤景泰(かげやす)の子として美濃国で誕生しました。元服して通称を作内(さくない)または権兵衛(ごんべゑ)と名乗ります。
はじめは斎藤竜興(濱田龍臣)に仕えていたものの、永禄10年(1567年)に斎藤家が滅亡すると隣国の近江へ逃れ、牢人となっていました。
斎藤家を滅ぼした織田信長(小栗旬)は光泰の奮戦ぶりを気にとめていたそうで、後に秀吉の仲介で織田家に臣従。