南北朝の異端児!「ばさら大名」佐々木道誉とは──派手なパフォーマンスで権力を制した知略と実像【前編】

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南北朝の異端児!「ばさら大名」佐々木道誉とは──派手なパフォーマンスで権力を制した知略と実像【前編】

歴史を見ていると、「この人、本当に武将なのだろうか」と思うような人物に出会うことがあります。その代表格のひとりが、南北朝時代の武将・佐々木道誉(ささき どうよ)です。

鎌倉幕府が滅び、日本が大きく揺れ動いた14世紀。この激動の時代に、ひときわ異彩を放った人物がいました。法名の「導誉(どうよ)」の名でも知られる佐々木道誉です。

彼は、派手で奇抜な振る舞いを意味する「ばさら」を体現した武将として、『太平記』などの史料に数多く登場します。

しかし、その実像は単なる奇人ではありません。政治の駆け引きに長けた策士であり、同時に文化にも深く関わった人物でした。

佐々木導誉像 部分(Wikipediaより)

今回は、そんな道誉という人物を、史料に残る事実をもとにのぞいてみたいと思います。

権力闘争を「演出」で制する

道誉の名前を語るうえでよく知られているのが、花見をめぐる逸話です。

1366年、室町幕府の将軍御所で、管領の斯波高経が花見の宴を企画しました。ところが道誉は同じ日に、京都の大原野でさらに豪華な花見を開きます。

軍記物語『太平記』では、この宴の様子が非常に華やかに描かれています。京都中の芸能者を集め、一丈ほどの真鍮の花瓶に桜の大木を立てて飾るという、当時としてはかなり派手な演出だったといいます。

結果として人々の関心は道誉の花見に集まり、斯波高経の面目は大きく損なわれたと伝えられます。高経はのちに失脚しますが、この花見はその象徴的な出来事として語られることがあります。

単なる贅沢ではなく、権力争いを「見せ方」で制する。

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