【壮絶すぎる人生】荻原流行&まゆ美夫妻の共著『Wうつ』読了|ほぼ週刊吉田豪

【壮絶すぎる人生】荻原流行&まゆ美夫妻の共著『Wうつ』読了|ほぼ週刊吉田豪

 発売当時に買ったまま読めずにいた萩原流行&まゆ美夫婦の共著『Wうつ』(09年/廣済堂出版)、読了。いま読むといろいろ考えさせられる一冊だったので、気になった部分を引用してみたい。

 まず最初に、もともと鬱になったのはまゆ美夫人が先だったわけですが、当時の萩原流行は心の病に対して何の理解もなく、余計に彼女を追い込むようなことばかりしていたんだそうです。

「本当に神経症という病気なんだろうか? 病院に通い始めてからも朝はちゃんと起きてコーヒーを淹れてくれるし、ご飯もつくってくれる。ひょっとして、僕に文句を言って怠けたいだけじゃないだろうか? そんな考えが頭に浮かんでから、少しずつ僕はまゆ美さんと正面から向き合うことを避けるようになっていった。発病から一年が過ぎ、薬やカウンセリングのおかげでだいぶ彼女も落ち着いてきた頃、僕はもうほとんど家庭を顧みなくなっていた。理由は極めて単純、ほかに好きな人ができてしまったのだ」

 この浮気があっさりバレたため、「たまたま早く家に帰った日、まゆ美さんが血まみれで立っていた」という事件が勃発。それでも彼は「リストカットか!? なんていうことをしたんだ!」「あのときの僕の目には、それが"当てつけ"としか映らなかった。あの日、彼女は僕を罵倒するような言葉を口にしたと思うが、よく覚えていない」という、いちばん駄目な対応をしてしまい、なんとか関係が修復されると今度は彼が鬱になっちゃった、と。

 そして、「自分の生い立ちについては、これまでほとんど語ってこなかった。なにを聞かれても辛い話しかできないので、取材の折に父母や家族の話題になると、やんわり断るか、『両親とももう死にました』と嘘をつくか、あるいは笑ってはぐらかしてきた」彼が、彼が心を病んだ原点には家庭環境が影響しているんじゃないかということで、幼少期について初めて語っていくわけです。

「父にはすでに家庭があったので、母は今でいう愛人という立場で、兄貴と僕を産んだ。兄が生まれた頃、親父は全国的に名前の売れたバンドのギタリストとして、羽ぶりのいい生活を送っていた。自由が丘に家を2軒もち、愛人とその息子、つまり僕と兄にもずいぶん贅沢をさせていたそうだ。

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