子どもは「神さま」をどのように理解するのか? (3/3ページ)

新刊JP

それは、私が幼かった頃の子どもたちと何ら変わっておりませず、今も、大人が話す「神さま」を、子どもたち各々のイメージをふくらませて見ています。見ていると言いましても、実際は子どもたちにも目には見えていません。イメージのなかに存在するだけです。目に見えなくて良いのです。子どもたちに目に見えないものを心の眼で見せて差し上げるということが大切なのです。
 行動や言葉にはしていないけれど、相手が想っていること、言わんとしていることを察して、酌んで、それを含めて「見たこと」「聞いたこと」であろうと想います。今の日本が目に見えたものや耳で聞こえたものだけを下に、「言った・言っていない」「聞いた・聞いていない」の世界になりつつあることを私は憂いています。なぜそのようになってきているのかと考えますと、その原因のひとつに日本人の「神様離れ」がある気がしてなりません。「神様」という目に見えない存在を心の眼で見ることと、言葉になっていない相手の気持ちを酌みとることはつながっているのです。

――なるほど。そういう意味では今おっしゃった「神様」や「ご先祖様」を意識することはある種の「大らかさ」につながるのかもしれませんね。

森:目には見えないけれど、いつも誰かが見守ってくれていると想えますと、心強く、心にゆとりを持つことができます。また、陰徳を積むという行動にも結び付きます。昨今は神様ではなく、防犯カメラの「目」を気にする世の中になりつつあるように思います。そうしますと、防犯カメラに映らないから少しくらいなら道に外れることをしてもよいかなという考えに至る可能性があります。
 神さまは目には見えないからこそ、畏敬の心を育てます。親御さんのお言葉が子どもたちに届かない時期も、畏敬の心から、神さまの声なら届くということもあります。
子どもたちが道義を養ううえで、神さまはとても有難いご存在なのです。
(後編につづく)

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