早稲田・慶應はわかるけど.……東大の創始者・起源ってどんなもの

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早稲田大学、慶應大学の創始者やその起源はよく知られています。一方、意外にも知られていないのが、東京大学の起源。東京大学は日本初の大学で、その歴史は江戸時代から始まる、実力だけでなく歴史も日本一の大学なのです。そこで今回は、東大の起源をご紹介します。

■東京大学の前身となった学問所

東大の歴史の始まりとも言える、東大の前身の学問所が、約220年前の1797年、江戸時代に昌平黌が設立されました。そして、1857年には蕃書調所、1857年に種痘所の3つの学問所が前身となっています。後に昌平黌は江戸幕府直轄の学問所となり、蕃書調所はオランダ語などの外国書籍の読解などを行い、ヨーロッパ諸国の科学技術を取り入れるための機関となり、種痘所は西洋医学の拠点として、研究を行っていたと言われています。幕府直轄となり、後に西洋医学所となっています。前身となった学問所があるので、早稲田大学の大隈重信の様な創始者はいません。東大の雑学とも言えますね。

■東京大学が生まれた経緯

江戸幕府崩壊後、明治時代になり幕府管轄下にあった3つの学問所はそれぞれ、昌平学校・開成学校・医学校と改称され明治政府が接収し管轄下に入りました。この際、明治政府により3つの学校の総合学園構想案が出され、1869年に実行され、本郷湯島に所在する昌平学校を大学とし、神田に所在する開成学校を大学南校とし、神田和泉町に存在する医学校が大学東校となりました。しかしその後、学問論争が勃発し洋学重視の方針になり、国学の大学は一度閉鎖となってしまいます。1877年西南戦争の勃発時に、残った大学南校、大学東校が統合され、日本初の大学「東京大学」が誕生しました。その後、東大のキャンパスを設ける為に本郷にあった前田家の敷地を約3年間整備したんですね。前田家の敷地面積は東京ドーム約7個分と言われています。

■東大の門にまつわる話

まず東大には赤門以外にも門が設けられています。その数ざっと10個。深い意味があり、設立当時、外部とは違う空間となり、入門するという意味合いと、勉学に努めるために閉鎖的空間を作り出していたと言われています。東大の門で有名な「赤門」。現在も待ち合わせ場所として使用されていますが、現在は国の重要文化財に指定されている門なんです。実は赤門はもともと、戦国武将で有名な前田利家が初代藩主である前田家の大名屋敷の門なんですね。その当時の名残が今も残っている大変貴重な文化財となっています。

いかがでしょうか。東大にまつわる起源をお伝えしました。日本初の大学のストーリーは壮大ですね! ちなみに雑学として東大に至る所にマンホールがありますが、整備された当時のマンホールがあります。赤門も含め、東大には歴史が詰まっている大学ということは伝わりましたでしょうか。東大に行くことがあったらぜひ肌で感じてみてくださいね。

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