早稲田・慶應はわかるけど.……東大の創始者・起源ってどんなもの (1/2ページ)

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早稲田大学、慶應大学の創始者やその起源はよく知られています。一方、意外にも知られていないのが、東京大学の起源。東京大学は日本初の大学で、その歴史は江戸時代から始まる、実力だけでなく歴史も日本一の大学なのです。そこで今回は、東大の起源をご紹介します。

■東京大学の前身となった学問所

東大の歴史の始まりとも言える、東大の前身の学問所が、約220年前の1797年、江戸時代に昌平黌が設立されました。そして、1857年には蕃書調所、1857年に種痘所の3つの学問所が前身となっています。後に昌平黌は江戸幕府直轄の学問所となり、蕃書調所はオランダ語などの外国書籍の読解などを行い、ヨーロッパ諸国の科学技術を取り入れるための機関となり、種痘所は西洋医学の拠点として、研究を行っていたと言われています。幕府直轄となり、後に西洋医学所となっています。前身となった学問所があるので、早稲田大学の大隈重信の様な創始者はいません。東大の雑学とも言えますね。

■東京大学が生まれた経緯

江戸幕府崩壊後、明治時代になり幕府管轄下にあった3つの学問所はそれぞれ、昌平学校・開成学校・医学校と改称され明治政府が接収し管轄下に入りました。この際、明治政府により3つの学校の総合学園構想案が出され、1869年に実行され、本郷湯島に所在する昌平学校を大学とし、神田に所在する開成学校を大学南校とし、神田和泉町に存在する医学校が大学東校となりました。しかしその後、学問論争が勃発し洋学重視の方針になり、国学の大学は一度閉鎖となってしまいます。1877年西南戦争の勃発時に、残った大学南校、大学東校が統合され、日本初の大学「東京大学」が誕生しました。その後、東大のキャンパスを設ける為に本郷にあった前田家の敷地を約3年間整備したんですね。前田家の敷地面積は東京ドーム約7個分と言われています。

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