閉港まであとわずか!?冷戦の歴史を今に伝えるベルリン・テーゲル国際空港 (2/3ページ)

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ベルリン封鎖によって陸の孤島となってしまった西ベルリンに対して、連合国軍は飛行機をつかった物資輸送を実行を計画します。そのためには空港施設の整備が急ピッチで必要となりました。

その結果整備されたのが2008年に封鎖されたテンペルホーフ空港と現在も運用中のテーゲル空港です。つまり、ベルリンにある3つの国際空港のうち2つは西ドイツ由来の空港で、1つは東ドイツ由来の空港(シェーネフェルト空港)であり、今後は東ドイツ由来の空港に統一される、ということになります。

急ピッチでの空港建設がどれほどのものであったか、というのは、テーゲル空港がソビエトによるベルリン封鎖後のわずか49日で滑走路が建設さたことからも分かります。そのスピードから当時の西側諸国の威信をかけて建設された空港であったとも言えるでしょう。

テーゲル・テンペルホーフの2つの空港は西ベルリンへの物資補給を空輸のみで支えるために運用されました。作戦は「ベルリン大空輸」と名付けられ、スタート当初の航空交通管制は、輸送機の量に追いつくことができず、ブラックフライデーと呼ばれる輸送機同士の事故まで引き起こしてしまいます。

ブラックフライデー後、西側諸国による航空交通管制業務の研究が行われ、24時間態勢・3分間隔で離着陸を運用できる最新鋭の設備が整備され、ベルリンの空輸量は1日4500トンを超え、西ベルリン市民を支える巨大な空のインフラへと成長します。

その輸送数は約2年間に27万回にわたる物資空輸であったことからも、膨大な数の物資が陸を経由することなく空からだけで支援することの困難さを物語っています。1998年11月9日、ベルリンの壁が崩壊し冷戦が終了すると、テーゲル空港は物資だけではなく、ベルリンの空の玄関口として活躍を続けています。

2008年に封鎖したテンペルホーフ空港から遅れる事8年、いよいよ東西冷戦の象徴的な空港の運用に幕が下ろされる日が近づいています(2011年閉鎖予定でしたが、現在もまだ閉鎖されていません)。

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