死人の出ない歴史ドラマ「黒田騒動」の謎 (2/4ページ)
主君を訴えて騒動を起こした張本人である栗山大膳も、東北の藩に流されはしたものの、罪人扱いではなく、それなりに優遇されて大威張りで暮らしていたとも伝えられています。だから、「めでたしめでたし」で誰も悲劇的な目には遭っていない。それがずっと不思議だったんです。
そんなこともあって、『橘花抄』を書いた後にまた資料を読み返しながら考えていたら、「黒田騒動」単体を見たら誰も死んでいないけれども、少し視野を広げると、竹中妥女正(たけなかうねのしょう)という人のことが見えてきました。
この竹中妥女正という人は、長崎奉行をやっていたような人なのですが、在職中に手酷くキリシタンを弾圧していたこともあって、後の島原の乱にもつながっています。栗山大膳はこの人に対して主君を訴え、それを彼が幕府に取り次いだことで「黒田騒動」は広がっていったのですが、その竹中がちょうど騒動が起きている時期に密貿易の疑いで告発され、結局切腹させられているんです。そして、ほどなくして竹中家も潰れてしまった。
つまり、「黒田騒動」の関係者の中で、訴えを受けた「検事」役だった竹中だけが死んだわけで、彼も含めて書くことで「黒田騒動」の別の面が見えるのではないかと思ったんです。
――死人が出ないのもそうですが、いわゆる「切った張った」の場面も少ないですね。
葉室:そうなんです。だから、ドラマとしてみると分かりにくいのですが、同時に「謎」の多い騒動でもあります。
黒田騒動とほぼ同時期に同じ九州の加藤家が江戸幕府に改易(大名や旗本から身分を剥奪し、領地や城を没収すること)させられていましたし、その前には安芸広島藩主だった福島正則も、大大名の地位から転落していました。
この加藤家と福島家、そして黒田家には共通点があって、いずれも豊臣秀吉子飼いの大名だったということで、徳川体制になると「外様大名」として幕府から警戒される存在でした。
そんな流れの中で福島が潰れ、加藤が潰れ、「黒田騒動」が起こったわけですから、これは徳川幕府からしたら黒田家を潰す絶好のチャンスだったはずなんです。
しかし、幕府は「昔の功績があるから」という理由で、先ほどお話ししたような妙に温情的な採決をした。この時に何が起こってこういう採決になったのかが謎なんです。