戦時の小説家が行っていた「戦争協力」とは? (3/3ページ)
戦前生まれの作家って多かれ少なかれ「戦争協力」せざるを得なかった、これはある意味当然のことだと思います。吉川さんについて言えば『新書太閤記』で豊臣秀吉を書いているのですが、「小牧・長久手の戦い」が終わったあたりでフッと終わっていきます。何が起きたかというと、そこで日本が戦争に負けたんです。
――終戦によって先が書けなくなってしまった。
葉室:そして、戦後になって書き始めたのが『平家物語』だったのですが、これは国が滅びていく物語で、言ってみれば「滅びの美学」のようなものがある。そこに戦後に小説を書いていく活路を見出したんだと思います。
こうした大先達の方々のことを考えると、皆「自分自身は一体何なのか?」という問いかけの下に小説を書いていたと思います。だからというか、僕らもそういう問いかけを持ちながら歴史小説を書くべきなんじゃないかと思いますね。
――今のお話を踏まえると、葉室さんも含めて戦後生まれの作家の方のほうが自由に歴史小説を書けるのではないですか?
葉室:本当の意味では自由に書けると思います。戦争が終わるまでの日本の歴史観や国家的な価値観というのは明治以降に作られたものですよね。江戸時代が終わって明治になって、そこからは簡単に言えばヨーロッパみたいになりたくてあらゆるものを人工的に作ってきた。そういう時代を通してできあがってきた国家観が敗戦によって崩壊したわけです。
ただ、崩壊したといっても、戦前の人はたくさん生き残っていましたよね。総理大臣になる吉田茂もそうです。岸信介なんて満州の高級官僚でしたから。そういうところで戦前の価値観というのは敗戦後も保存されていましたから、自由だったかというとそうではなかったです。
僕らが歴史に関して多少なりとも自由に考えられるようになったのは、平成になってからでしょうね。昭和天皇がご存命なのに、戦時中や戦前のことを「歴史」として語れるかといったら語れないでしょう。それは単に「戦争責任」の話ではなくて、もっと別の様々な意味からいってもそうです。
(第3回 50代になってから歴史小説を書き始めた理由 につづく)