【クルマを学ぶ】大型車両とサスペンション 「大きなクルマ」はこうして進化した (2/3ページ)
そしてこれらの機構の信頼性を世間に知らしめたきっかけは、第二次世界大戦である。
第一次と第二次、この両世界大戦の最大の違いは何かと言えば、行軍速度である。
第一次大戦は“守りの戦争”で、対立する両軍は塹壕の外から出られなかった。だが第二次大戦は『攻めの戦争』だ。
優れた走行性能を持った戦車は、塹壕をも容易に乗り越えてしまう。サスペンションが戦争の在り方を変えてしまったのだ。
世界大戦は、もう二度と繰り返してはいけない惨劇だ。だが物事には必ず光と影、プラスとマイナスがある。
『トーションバー式』と『リーフスプリング式』という、社会発展を担う大型車両にとって最適なサスペンションを確立させたことは誰しも認めるべきではないのか。
■ 恐怖のT34戦車
だが実は、この二つのサスペンションとはまったく異なる機構のものが戦時中に大活躍していた。
『クリスティー式』である。
これはアメリカのジョン・ウォルター・クリスティーという発明家が開発した機構で、言わば独立懸架方式サスペンションの一種類である。
接地ストロークの大きい大型転輪(というより、それを支える架脚)に、コイルバネをそれぞれ取り付けたものだ。クリスティーはこれを搭載した独自の戦車を開発した。
そしてこの戦車は、当時の常識では考えられない高速を発揮し軍関係者を驚かせた。
クリスティーはこの結果に満足し、意気揚々とアメリカ陸軍に売り込んだ。だが、陸軍はクリスティー戦車をごく少数購入しただけに留まり、その後も戦車技師としてのクリスティーを、重用しようとは考えなかった。落胆したクリスティーに声をかけたのは、ロシア人だった。
「ソ連はあなたの発明を必要としている。この戦車をぜひ売ってほしい。砲塔は外した状態でも構わない」
そう言われたクリスティーは、砲塔を取り外してただのトラクターと化した戦車をソ連に売却した。ソ連の兵器技師たちは、このクリスティー戦車を隅から隅まで研究し、改良に着手した。
そうして生み出されたのが、T34戦車である。
ソ連は、シベリアの大草原を走破できる戦車を欲していた。