ゴジラに魅了されたアメリカの歴史学者が、ゴジラの魅力について語る (3/5ページ)
しかし、ゴジラの製作者たちは別の視点を持っていた。ゴジラは戦争で殺された日本兵の魂であると。「彼らを忘れようとしている日本国に帰り、認知されることを待ち焦がれていた魂」とツツイ氏は説明してくれた。

日本経済成長に伴いゴジラは破壊者から国を守る防衛者へ
アメリカのテレビなどでゴジラの生みの親として紹介されるのは円谷英二であることが多いが、ゴジラの基本設定を思いつき、実際の企画を立ち上げたのは田中友幸氏である。
田中氏は、この映画のキャラクターにゴジラと名づけた。この名は「ゴリラ」と「クジラ」を掛け合わせたもので、当時東宝演劇部にいた「グジラ」(クジラが好きなゴリラみたいな容貌の男性)から着想を得ているという。
そして、大幅に書き換えられた『怪獣王ゴジラ』(『ゴジラ』(1954年)の海外版)は1956年に公開され、アメリカ人たちを大いに魅了し、日本の動向を映し出したゴジラは続編を次々と生み出していった。

1960年代、日本は高度経済成長期の真っ只中で人々も楽観的であった。彼らが求めていたものは、もはや巨大な怪獣によって破壊される国ではなかった。
「そのため、ゴジラの位置づけも変化し、破壊者から国を守る防衛者へと変わっていった」 とツツイ氏は語る。興味深いことに、この映画製作者たちの多くはアダルト業界出身だった。その理由をツツイ氏はこう説明している。「スタジオ側は60秒間、何もアクションがなければ、観客たちは劇場を去ってしまう、という事実を理解していた」 と。