【商倫理と日本・前編】「商人道」はこうして敷かれた (3/3ページ)
筆者の物書きの師匠は、かつて中国のとある大学で日本語を教えていたという人物だが、毛沢東死後から趙紫陽失脚までのちょうど10年間が『日本ブーム』の時期だったと言っていた。
要するに、その辺りで青春時代を迎えた人々が“松下世代”なのだ。
■ 「共存共栄」

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これだけ見ても、松下幸之助が遺した功績は非常に大きい。
幸之助は、コンピューターの先進性に気付けなかった点や小売価格決定権を巡って繰り広げられた中内功との抗争など、弱点や失敗も多かった。
だが“商倫理の体系化”ということでは、世界に先んじた行動を取っている。
幸之助の基本スタンスは“共存共栄”だ。もっと言えば「同業他社を敵に回すな」である。実は中内功のダイエーとの『30年戦争』は、こうした信念に基づくものだ。
中内功は、「小売価格は小売業者が決定する」という今では当たり前の仕組みを構築した人物だ。だが同業他社とのつながりを意識する幸之助は、小売業者の手で製品の価格を決められてしまうことに恐怖を覚えた。
こうした不安は、決して的外れのものではない。巨大な小売業者が安くて品質の良い商品を次々に市場投入すれば、それ以外の業者は敗退していく。
現にアメリカでは、大手スーパーマーケットが地方部に出店し、安売り攻勢で地元の個人商店を廃業に追い込んでいくということをしていた。
そしてその土地で利益が見込めなくなると、早々に閉店し別の地域へ移っていく……というやり方だ。残されたのは買い物難民だけである。
製造メーカーにしろ小売業者にしろ、一人勝ちは後にそのような状況を生み出しかねない。中内功の業績は結果の出た今だから評価されているが、当時は「リスキーな手段」と見られていた。
もし幸之助の用意したブレーキがなかったら、日本の市場は極端な小売業優勢となっていた可能性がある。
そう、アメリカのように。
(後編に続く)
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